あれから60年沖縄慰霊の日

沖縄戦で牛島司令官が自決し組織的な戦いがなくなってから60年。この日を慰霊の日に定め、戦没者20万の追悼の日になった。米軍上陸から、2ヶ月余り、鉄の暴風と呼ばれる艦砲射撃で山野も一変し大勢の住民を巻き込む悲惨な戦いになった。勤皇鉄血隊やひめゆり部隊など若い人々も数多く犠牲になった。ひめゆり隊の生き残りの人に話しを聞く機会があった。逃避行のさいガマに入って身を隠したとき、赤ちゃんの泣き声で敵に知られるのをおそれるためわが子の命を自分の手で殺さざるをえなかった若い母親、ガマにはいれず、敵の銃弾に倒れた人、スパイの疑いで集団自決を強いられた人々。悲劇は枚挙にいとまない。こういう悲劇を決して繰り返してはならない。60年という歳月が流れ、体験した人も少なくなり、語り継ぐ人も高齢化してきている現状で少しでもこの事実を知ってもらいたい思いでいっぱいだ。住民の死者12万を超えるという。本土決戦の捨石にされたのだ。